アラサーライター吉原由梨の「ようやく大人 まだまだ女」別館

男女や家族を含む人間関係、家庭、仕事、メンタル、生き方について。

「生まれました。」の報告の半分は、優しさで出来ている

夕方、地元の友達から
「出た!朝の6時59分!2956gの女の子で、名前は○○ 帰ってきたら会おうね〜!」
とLINEのメッセージがきた。

「『出た!』ってww」と内心突っ込みつつ、
いっしょに届いた写真(彼女と産まれたばかりの姫)をみて、なんだかじんわり心が熱くなった。

1月末が予定日、と年末に聞いていたので、先週末辺りから実はソワソワしていたのだ。
そろそろかな、大丈夫かな、あの147センチの友人の体からもう一人出てくるって冷静に考えたらすごいな…なんて思いながら。

そんなふうに待ちに待っていた報告だったので、しみじみ嬉しかったし、ホッとした。

 

        ※

 

「生まれました」の報告には、単なるお知らせや幸せのお裾分け以上に“静かに見守ってくれている人達への優しさ”の意味もあると思う。

 

25歳くらいまでの私の周りには、同世代の出産経験者がほとんどいなかった。何も分かっていない私は、友達が出産予定日を過ぎたあたりになると「生まれた?」とサクッと聞いていた。
今思うと、当時の自分の無邪気さが恐ろしい。
そんなこと今じゃとてもじゃないけど聞けない。

周りに妊娠・出産経験者が増えてくると、少しずつ知識が増える。

私の周囲はまだまだ高齢出産の年齢ではない。
それでも、妊娠はしたものの安定期に入る前に悲しいことに流産してしまう人、切迫早産の危険で入院する人、無事に生まれても赤ちゃんが病気で何ヶ月も入院すること、難産で母体に負担がかかりすぎてお母さんが入院すること、どれも決して珍しくないんだと、この何年かでよく分かった。

「生まれました。母子ともに健康です。」
この言葉にはものすごい奇跡が詰まってると。

だから、そろそろ予定日過ぎたなと思っても、周りはひたすら静かに待つしかない。何も知らなかった頃みたいに「生まれた?」なんて口が裂けても聞けない。報告が来るまで聞かないのは大人の常識だ。

本人からの一報は、そんな周りのワクワクと心配と焦れったさを一気に解決してくれる。
出産でぐったりしてるだろうに知らせてくれることに、“優しさ”を感じるのだ。

 

LINEやメールで個別に報告するのは、産後の体ではごく親しい数人が限度なのかな?と思う。
その点Facebookは一気にお知らせできるから便利だ。
Facebookが結婚・出産報告ツールになってて見る気がしない」という声をよく聞くし、たしかに知らない人の報告がタイムラインに流れてきても、正直なところ私もあまりピンとこない。
でも友人・知人であれば、「あ~あの子、妊娠したって言ってたな。元気に出産したんだよかった!」と眺めてる人も多いんじゃないかと思う。
そう思えば、タイムラインの出産報告もほっこり受け止められないだろうか?


都内ならとんで会いに行きたいくらい嬉しい。
次の帰省が楽しみ!

 

 

 

モラハラの連鎖を断ち切る。~生い立ちとその実践

「大きくなったらパパと結婚するの!」
円満な家庭の象徴のようなこのセリフを、私は一度も言ったことがありません。
思ったこともありません。
むしろ物心ついてから結婚するまでの約20年間、
「父親とは違うタイプの人と結婚しよう。」と心に決めていました。モラハラの連鎖をぶった切るために。

■モラハラ夫である父のもとで育つ

私の父は、モラハラ夫でした。日常的な肉体的暴力は無いものの、激しい男尊女卑、母へのキツい物言いはあたりまえ。さらに一旦怒りのスイッチが入ったときの言葉の暴力は凄まじく、子供の目の前で手を上げることもありました。
私は小さい頃から感受性が強く、周りの大人の発する空気に敏感な子供だったため、いつもすぐに状況を察してしまい、母の様子を心配し、父の機嫌をうかがい、緊張しながら空気を取り持とうと明るく振る舞った記憶があります。

父は、どうしようもない人格破綻者だったわけではありません。 
仕事には人一倍情熱を傾け、子供には愛情を注いでくれました。
普段は超のつく倹約家でしたが教育にはお金を惜しまない人で、習い事は沢山させてもらったし、中学から受験して私立に通いました。バレエの舞台やミュージカル公演、アイススケートのショーなど、文化的な場所に連れて行ってくれた写真もたくさん残っています。大学受験のときには、第二志望の私立大にも入学金をいれてもらい、本命の国立の入試は「前日が雪で欠航になったらいけないから」と東京に前々日入り。試験は二日間なのに、4泊5日の旅でした。
良い思い出も、感謝している面もたくさんあります。

でも、夫としての父は、どうしても好きになれない。家の中で、誰かが我慢し、誰かが緊張して過ごすような家庭はまっぴらだ。

 

■夫婦間のモラハラは、子の恋愛観・結婚観に影響を与えるという説

大学生になって「夫婦間のモラハラを見て育った娘は、モラハラ夫を選んでしまう」という説を初めて知った時は恐怖で固まりました。「母親の『自分さえ我慢すれば』という考え方を、娘もまたしてしまう。」と。
また同様に、「モラハラを見て育った息子は、モラハラ夫になりやすい。」

モラハラの連鎖……それについて思い当たる節があったのです。
母の父、父の父、つまり私の二人の祖父は、両親の昔話を聞く限りでは、モラハラ夫でした。古い時代はどこの家庭もたいてい父親の立場が強いものですが、おそらくその範囲をこえた肉体的・精神的暴力があったようです。
……見事に、私の父も母もこの連鎖に巻き込まれてるじゃないか。メソッド通りじゃないか。

恐ろしい事実に気づいてしまい、自分はどうなるんだと憂いたのを、はっきりと覚えています。

そして、モラハラの連鎖について思い当たったことがもう一つ。
ある日、初めて父が、子供たちの前で母を激しく罵倒し、手を上げたとき。直後に母は私たち姉弟を連れて出かけて、話して聞かせました。「今日のことはね、びっくりしたと思うけど、お父さんが一方的に悪いんじゃないの。夫婦は長く暮らしていると喧嘩することもあって、そういうのを子供たちが(年齢的に)そろそろ知れたのは、良いことじゃないかと思うのよ。だから大丈夫。」と。
今にして思えば、そのときの母の心の中には、「まだ幼い子供たちの心に傷を作りたくない」という思いの他に、「モラハラの連鎖を断ち切りたい」という思いがあったように感じます。
だから、「これはモラハラ(当時はそんな言葉使いませんでしたが)じゃなくて、夫婦喧嘩なんだよ」と言い聞かせたんだと。

母には、自分がモラハラの連鎖に巻き込まれているという自覚がありました。
後々、聞いた話です。

 

■私の代で完全にぶった切るべく、慎重に相手を選ぶ。

母の願いでもあるモラハラ連鎖の断ち切り。
私の代で完全にぶった切ってやると、心に決めました。
私は見事に母の気質を受け継ぎ、実家では「自分が我慢して平和なら。」と思う娘に育ちました。

その自覚があるからこそ、自分が選んで作れる新しい家庭は、そこに属するメンバー全員が人格を尊重され、考えを自由に口に出来て、誰の顔色もうかがわずにリラックスして生きられる、そんな空間にしようと誓ったのです。
そしてそのためには、私のことを、アクセサリーでもなく、女中でもなく、性欲のはけ口でもなく、自尊心を保つための自分より劣った存在でもなく、人格をもった人間としてその人格と尊厳を認めてくれる人を伴侶にしようと、固く固く決心しました。

 

具体的に、どういう点に注意を払ったかを挙げておきます。

・彼の両親(とくに父親)をじっくり観察する

モラハラを見て育っていなければ、ひとつ安心です。

・実力以上の虚栄心をもっていないか

そういう男性は得てして社会で自意識ほどには認められず、その悔しさや憤りを家庭に持ち込みます。

・自信満々に自分の価値観ばかりを語らないか

家庭では絶対専制君主として君臨します。自分=ルールです。家臣の意見や価値観などどうでもよく、逆らえば罰します。

・必要以上のダメ出しをしないか

恋人にやたら細かいダメ出しをする男性は、モラハラ夫予備軍。「だから君はダメなんだ」なんて言い出したら、さっさと逃げ出すのが得策です。

・過剰な束縛をしないか

恋人に「他の男と話すな」「どこにいるか全て報告しろ」「友達と会うより自分を優先しろ」などと過剰な束縛をする男性は、恋人を所有物と捉えているので、対等な関係は築けません。
また、恋人から自分以外の交友関係をどんどん奪い、最終的に恋人が自分にしか頼れないように仕向けます。

・「女の子は何も分からないくらいが可愛い」と思っていないか

恋人を人格のある対等な人間と見ていません。愛玩動物扱いです。結婚後、妻が意見や口ごたえをしようものなら「どうせ何も分からないだろう。俺の言うとおりにしてればいいんだ」と言い出します。

・愛情が条件付きではないか

「可愛いから好き」「若いから好き」「尽くしてくれるから好き」条件付き愛情は危険です。恋人そのものでなく、その人から得られるメリットを愛してるから。
年を取って、見た目が崩れたら?病気や不慮の事故で、妻がそれまでほどの働きを見せられなくなったら?
きっと彼は妻に無関心になり、「足手まとい」扱いし、外に女を作ります。

・やたらと人を見下さないか

友人や同僚、周囲の人を何かにつけて見下す男性。彼らの根本思想は「自分以外はバカ。」その思想は結婚後の妻への目線に直結します。

・キレると手がつけられなくならないか

怒ることは人間誰でもありますが、問題は怒り方。人が変わったように暴れたり、人に当たり散らしたり、物を壊したりして、冷静な話し合いが通じないタイプの男性は、自分をコントロールできていません。その光景がそのまま家庭で再現される可能性大です。

 

前回の記事に書いた、取り憑かれたようなギラギラ婚活がむなしくなったのは、私の望む家庭像と、ギラギラ婚活との間に整合性が見出せなくなったのも一因です。

yuriyoshihara.hatenablog.jp

履歴書に書けるような条件、条件であさましく相手を選んで、果たしてお互いに「人間としての尊厳を認める」関係が築けるのか……?私の出した答えは否でした。

婚活からの離脱を経て、
上記の注意点と、内面の相性ーー価値観をすりあわせられるか、互いへの尊敬の念と愛情はゆるぎないか、一緒にいて自己肯定感が高まるか、のびのび本音がいえるかーーを慎重に吟味しながら、ありふれた恋愛をして結婚しました。
結婚したとき夫と約束したことは、「本音で話すこと。」「何事も我慢しないこと。」

お互いに被害者にも加害者にもならないための約束です。


■夫婦間にモラハラの入り込む隙間をつくらない 

私が結婚して数年後、妹も結婚が決まりました。そのとき母は電話の向こうで、「うちの娘達は、お父さんあんな感じなのに、本当にやさしい旦那さんを見つけてくるねえ。よかったわ。」と笑っていました。娘としては切ない笑いです。


結婚5年目、今のところ我が家にはモラハラの影は見当たりません。
でもこれから40年、50年連れ添うなかで(連れ添えれば)、少しずつ関係性が変質してしまうことだって、ありえます。
良い変質ならウェルカム。むしろ柔軟で素晴らしい。
でも、モラハラに少しでも繋がりそうな兆候を嗅ぎ取ったら、芽になる前に引っこ抜くと決めています。

つい先日、夫の発言で初めて少し「えっ?」と思うことがあったので、納得行くまでとことん本音で話し合いました。そこで飲み込んではダメなのです。「私が我慢すれば……。」のモラハラ引き寄せマインドが育ってしまう。
あくまでも穏やかに、でも本音で話し合う。主張するべきことは主張する。
それができるはずの相手を選んだんだから。自信を持つことも、大切なモラハラ除けです。

■最後に

モラハラ家庭に育ってしまい恋愛や結婚で悩んでいる人がいたら、「大丈夫だよ」と言いたい。「自分は人格を愛されるに値する人間だ」と信じて(もちろんそのための研鑽は必要)、注意深く相手を選べば、親と同じことにはなりません。客観的に見てくれる友達を大切にする、そして交際相手が「変だ」と思ったら、情にひきずられず即逃げる。

「モラハラの連鎖は断ち切れる」ということを、人生をもって証明する所存です。

 

 

趣味まで婚活仕様にするほど「高収入男性」をギラギラ探した黒歴史。のほんの1ページ。

 20代中盤、「アラサー」に足を踏み入れたころ大失恋をした。長年付き合って結婚の話もかなり具体的だった相手から、突然の「終わりにしよう」宣言。

仕事にしか行かない引きこもり期間を経て、その後猛烈に「何が何でも結婚したい」症候群にかかる。しかもまことにあさましいことに、「前の彼氏より高収入な男性と結婚する。」と決めた。やり場のない悔しさがゆがんだ結果である(元カレは社会的地位はあったが高収入ではなかった)。ちょうどそのころ結婚した市川海老蔵さん・小林麻央さんの披露宴の中継をみてギラギラ闘志を燃やしていた。キラキラでないところが哀しい。

 ギラギラ症候群をわずらった半年間の婚活

半年間ほど続いたその「高収入の男性と結婚したい症候群」はかなり強烈で、気力体力知力のすべてを婚活に注いだ。

具体的には、

・毎週金曜は友人のツテで合コン。合コンマッチングサイトも利用。

・婚活パーティーは3社チェックし、職業や年収要件があるもののみ月2で参加

・週末は合コンとパーティーで出会った男性との食事やお茶。アポが重なりそうになれば、ランチとお茶とディナーではしごする。

・平日夜に会える人には平日会う。(ウィークデー5日間で3人の人と食事した週もある)

・婚活本や雑誌の婚活特集、心理学の本を読み漁る

・ヘアメイクとファッションは徹底的に男性うけを狙う

 その一環として、「高収入な男性と出会える趣味の場」にうんうん思いを巡らせていた。

婚活パーティーは年収条件がある会にいけば高収入は約束されるが、行けばいくほどどうも肌に合わない。なんか漁場を間違えている気がする。合コンも時間がかかる割に人数が少なくて効率が良くない。

ならば、趣味や習い事だろう!婚活で習い事というと、料理教室やポーセラーツや自分磨きのダンスを始める女子が多いが、今さら女の園に行ってどうする、男女比がいびつな場所に行くのだよ、とぎらぎらモードの私は考えた。男女比がいびつで、しかもお金のかかる趣味の場。

そのときの思考回路が見事にまとまっているのが、トイアンナさんのこちらの記事。

toianna.hatenablog.com

もう頭のなか覗かれていたのかと思うくらい、当時の私の「あれでもない、これでもない」が文章化されていて、当時の記憶がまざまざと蘇る。

でも趣味戦略は私の個人的事情によりことごとく手詰まりになった。トイアンナさんの提案する趣味に沿って、その悲しい理由を説明する。

●高級車

小さいころから車酔いがひどく、ドライブデート不可。だから車に興味がもてない。ちなみにベンツでもジャガーでもBMWでも酔う。却下。

 

●ミリタリー

大学時代に友人が池袋西口でサバイバルゲームをやっていたのを思い出した。が、運動神経皆無なうえ、アドベンチャラス感にもスリリング感にも興味がなさ過ぎて却下。

 

●腕時計

思いもつかなかった。残念。

 

●ワイン、ウィスキー

当時はお酒があまり飲めなかったので却下。

 

●自転車

これは結構真剣に検討した。でも、あの高級自転車のサドルの高さと前傾姿勢が怖い。一度友人のに乗せてもらってみたのだけど、結婚欲より恐怖がまさって棄却。

 

●文房具

これなら私にもちょっと理解できる!万年筆とか凝った革製品なんか素敵だ。足をふみいれようかと思ったが、文房具好きな男性が集まる「場」が見つけ出せず棄却。ギラギラしてたくせに詰めが甘かった。

 

●古美術

自分で買うのは経済的に難しいけれど、美術展はもともと好きなので、知識を仕入れて一緒に楽しむことはできるぞ!と意気込んだ。陶芸教室も興味があった。採用!!

が、トイアンナさんのご指摘通り、シニア層の方が多い。当時私は相手の年齢を30代中盤までと決めていたので、どうも違う……と気付き、撤退。残念だった。

 

クラシック音楽

これが一番親しみやすく、もともと好きで、望ましい選択肢だった。が、元カレがクラシック好きでラフマニノフやらショパンやらのCDをよく聴いていたので当時は「クラシック好き」の男性にトラウマ並みの拒否反応があり、泣く泣く棄却。

 

 ●番外編:競馬

上から下まで男性の幅があまりに広そうで、かつギャンブル好きの男性との結婚は見極めが難しい…と思いとどまった。

以上が、私の「高収入の男性と出会える趣味の場」戦略が手詰まりになった悲しい理由である。

でも今にして思うと、「お金のかかる趣味」をもつ男性と一生やっていくのはなかなか難しいところもあるかもしれない。沢山稼ぐけど、沢山出ていく。生活が破綻しない範囲内ならOKと思えるか、思えないかは個人の価値観次第だ。いまの私は「うーん」と思うけど、ギラギラしていた当時の私はそれでもいいと思ってたのだから。

そこがクリアできて、私みたいに悲しい理由が勢揃いしてしまわない女性には、「高収入な男性と出会える趣味の場」戦略はかなり有効だと思う。

 その後

最終的にギラギラ症候群は落ち着いた。というか、婚活がむなしくなってやめた。あさましいスペックチェックによる足切りから始まる人間関係にどれほどの価値があるんだ何様だ私は、とアホな自分にようやく気づいたから。憑物がおちたみたいだった。

その直後にひょっこり再会した現在の夫と恋愛して、サクッと結婚したのだから人生分からない。結婚した当時の夫の収入は元カレより低かったけど、そんなことは気にもならなかった。そして、かつては戦略として取り入れようとしたクラシックやワインを、いまでは(安価な範囲内で)夫婦でまったり楽しんでいるのもなんだか笑える。でもこの迷走した半年間にたくさんの男性を観察しまくれたおかげで、かなり社会勉強とデータのストックをした気もする。黒歴史にも一応の存在価値あり、か。

 

時代を超えた3人の男のロマン〜村上春樹訳『グレート・ギャツビー』で泣き初めした。

久しぶりの更新になってしまいました。
大変遅ればせながら、あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
    ・・・・

タイトルの通り、スコット・フィッツジェラルド著、村上春樹訳の小説『グレート・ギャツビー』で今年の泣き初めをした。

グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)

グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)

男のロマン、夢の儚さ、人の心のうつろいがなんとも心に切なく訴えかけてくる作品だった。そしてこの作品の大ファンだという村上春樹氏の翻訳が、このうえなく素晴らしい。

村上春樹作品が読めなかった私
村上氏といえばグレート・ギャツビー以前にもたくさん訳書を出している。その中でいちばん印象に残っているのが2003年の『キャッチャー・イン・ザ・ライ』だ。それまで『ライ麦畑でつかまえて』の邦題で日本人に親しまれていたサリンジャーの小説を、キャッチャー・イン・ザ・ライのまま出した!なんじゃそりゃ!と物議を醸していた記憶がある。
当時大学の教養課程の学生だった私は、英文学者・斉藤兆史先生の「翻訳論」という講義をうけていた。その講義の中でも、村上氏のキャッチャー・イン・ザ・ライはたびたび登場した。なぜそれまでの邦題を使わなかったのか、どういう解釈や意図のもとそうしたのか、本文も随分引用された。

そんなに話題になって講義にも登場したにもかかわらず、私はキャッチャー・イン・ザ・ライを読んでいない。なぜかというと、作品自体にもあまり興味がなく、そして……ファンの方すみません、村上春樹氏の作品が苦手だったから。
風の歌を聴け」で「?」となり。「羊をめぐる冒険」で「??」となり、心折れた。
その後ひとのすすめで「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を読んではじめて「面白い、いける!」とにわかに盛り上がったものの、「1Q84」で挫折し、再び心折れた。
もう私の感性が足りないか読解力の不足だろうと、村上氏の文章を読むことはあきらめた。

◆きっかけは『映像の世紀

そんな私が今回『グレート・ギャツビー』を読んだのは、NHK映像の世紀という番組がきっかけだ。1900年代の世界をひたすら映像で追う番組で、複雑な近現代史がわかりやすく、そして印象強く頭に入ってくる。1992年に放送された番組のデジタル・リマスター版が今年のお正月に放送され、熱烈なファンの夫がすべて録画したので三ヶ日中ずっとみることになった……いいけど。その番組の中でアメリカの1920〜30年代を描写するのに必ず登場するのが、スコット・フィッツジェラルド。彼の名前をあまりにも聞きすぎて、作品を読まずにはいられなくなり、それならグレート・ギャツビーからだろう、となった次第。

◆迷った挙句、村上氏の訳で読んでみた 

ここで問題にぶつかった。この作品も何人かの日本人によって訳されている。誰の訳で読んだものか……。最新は村上春樹さんだけど、私大丈夫かなぁ(とてもとても不安)、という迷いをTwitterにこぼしてみたところ、尊敬する書き手の方が「小説だめでも訳書は大丈夫ですよ!」と背中を押して下さった。よし、それなら!とポチり、久しぶりの村上春樹氏の文章と対峙した。

で、結果、泣き初めである。
村上氏の訳は素晴らしかった。実は、事前に青空文庫で他の訳者さんのバージョンもところどころ読んでみたのだが、村上氏の訳のほうが、原文の文体というかリズム感や、世界観をより忠実に再現している気がした。
(もっとも原文は鬼のように難しくて、ごくごく一部しか読みこなせなかったので、あくまでも私が感じた限りでは、の話だが。)
フィッツジェラルド独特の、複雑なんだけど流れるような文章、とでもいえばいいんだろうか、それを見事に日本語で再現している。

絶対にそれは並大抵の作業じゃない。
私が朗読をやっていたことは以前書いた。朗読をする人間にとって訳文は鬼門だ。
なぜかというと、たしかに外国語から日本語にはなっているのだけれど実感として意味が分かりにくい文章が存在するのがひとつ(本格的にわからないと、原文にあたってみるはめになる)。そしてもう一つは(こっちのほうが朗読者にとっては残酷)、文章のリズムが崩されていることだ。原文には確かに存在する文体やリズムが、違う言語に訳されることによってどうしても崩れてしまう。もうこれはある程度仕方がない。ただ、聞き手にわかりやすく、なおかつ聞いて心地よい読みをするのは至難の業なのだ。

◆村上氏の情熱、精緻さ、そして感性

しかし、その「ある程度仕方がない」リズムの崩れを、村上氏は最小限に抑えたのではないかと思う。日本語としてもきちんと成立し、しっかりと意味の通る文章にしながら、もとのフィッツジェラルドの文の持つニュアンスやリズム感を再現しようだなんて、なんとまあ!神業……!

実際、村上氏は「訳者あとがき」で、これまでに邦訳されたグレート・ギャツビーはどうもフィッツジェラルドが書いた作品の世界観を再現しきれていないと感じていて、自分はその点に力を注いだと書いている。
そして、しっかりしていつつも流麗であるグレート・ギャツビーの文章の独特のリズム感を、なるべく崩さないようにした、とも。
村上先生、素人目線ですが、見事に達成されたのではないでしょうか。貴方の訳のおかげで私はグレート・ギャツビーの世界観を存分に味わい、泣きました。

また訳者あとがきには、村上氏のグレート・ギャツビーという作品への思い、フィッツジェラルドへの思い、翻訳作業への思いも綴られており、あとがきだけでもそこらへんの短編小説が軽く吹っ飛ぶような熱量を感じる。
おそらく村上氏にとって、思い入れのあるグレート・ギャツビーを少しでも理想通りに訳すことが、男のロマンなんだろう。あとがきに男のロマンを感じたのは初めてだ。
溢れんばかりの情熱と、精緻な作業を進める冷静さ、そして作品の空気を吸って吐き出すように世界観を再現する感性、そのすべてがぎゅっと詰まったあとがきだった。

そしてそれらは実際に『グレート・ギャツビー』本編の中でいかんなく発揮されている。
登場人物のイキイキとした会話、人柄をあらわすちょっとした描写、構造は複雑ながらも美しい音楽のような文章。随所に著者の才能と訳者の努力が光る。

◆3人の男のロマン

私の勝手な感想だが、この邦訳版『グレート・ギャツビー』には、3人の男のロマンがつまっている。
一人目、ヒットをとばして食いつなぐための軽い短編ではなく、本格的長篇小説を書きたいという小説家としての情熱を作品にぶつけたフィッツジェラルド
二人目、小説の中で哀しくも野心家で真っ直ぐなロマンチストとして生きた、ギャツビー
三人目、愛してやまないその二人の男のロマンを日本の読者により忠実に届けたいと、心血を注いだ訳者、村上春樹


新年早々、素晴らしい作品に出会えて幸せだ。
2度、3度と読み返したい。

ときに村上春樹先生、『夜はやさし』を訳してはいただけませんでしょうか?


『聖☆おにいさん』にムハンマドが加わって、世界中で読まれる日が来るといい〜クリスマスに考える宗教観

明石家サンタが流れる聖夜、皆様いかがおすごしでしたしょうか。
深夜書いてるのでサクッサクッといきます。
……なるべく。

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『聖☆おにいさん』という漫画をご存知だろうか?東京の立川で、休暇中のイエスとブッダがルームシェアするというブッ飛んだ設定の漫画だ。
イエスは言わずとしれたキリスト教におけるの神の子、ブッダは仏教の開祖。その二人の仲睦まじい共同生活の様子が面白おかしく描かれている。ギャグ漫画といっても差し支えないくらい、キリスト教と仏教の教義ネタを組み込んだギャグが散りばめまくられているが、ちっともどちらかを揶揄したり愚弄したりする空気はないし、本当にただただ面白く笑える。
でも、この漫画が何事もなく出版され、一般市民が手にとって爆笑してる国なんて、日本くらいじゃないかと思う。

知人のアメリカ人女性にこの漫画の話をすると、「あぁ、それは日本ならではね〜。アメリカでだったら問題になりそう。」と言っていた。
実際そうだろう。
クリスマスも初詣も楽しんでしまう、宗教へのこだわりが薄い日本だからこそ、問題にならないんだと思う。

私はクリスチャンホームに生まれた。両親は教会に通っていて、小さい頃は私も一緒に礼拝にいった。なので、お宮詣りも七五三もやってない。代わりに教会で「幼児洗礼」という儀式をうけた。
そして中学高校もキリスト教の学校だったので、
行事ごとにミサがあったし、宗教の授業もあった。だから私はキリスト教にはそこそこ詳しい。
ただ、私自身がクリスチャンかときかれると、そうでもない。どの宗教を信じているか絶対選べと言われればキリスト教だが、教会にも行ってないし、日常的に祈りを捧げる習慣もない。初詣にもいくし、おみくじもひくし、厄払いにもいく。お守りも持ち歩く。仏教の本も読む。無宗教といっても差し支えないだろう。

私がこういうふうになったのは、皮肉なことに育った環境が1番の要因だと思う。
我が家はプロテスタントだった。学校はカトリックだった。同じキリスト教でも、教義や戒律が微妙に異なる。マリア信仰があるか、偶像崇拝を認めるか、労働や財をなすことをよしとするか……そもそもカトリック教会に反発した宗教改革からはじまったのがプロテスタントなので、哲学が違う。
そんな2つの宗派どちらにも関わってみて、10代の私が感じたこと。
「アプローチが違うだけで、求めているものは同じなんじゃないか」

そもそも教義も戒律も、そのときの権力者にとって都合がいいように定められていることが多々ある。世界史を勉強した方ならご存知だろう。イギリス正教会カトリック教会と袂を分かったのは、当時の王が離婚したいがためだった(カトリックでは離婚はタブーだ)。

でも、同じ神を信じ、一般の信者が祈ることは、今日も明日も食べるものがありますように、平和でありますように、死後の魂が救われますように、だ。

その思いは、高校で世界史や倫理を勉強してより強くなった。
仏教の思想はクリスチャンホームに生まれた私には新鮮だったが哲学として学ぶところが多いと思ったし、日本の歴史と強く結びついているだけに感覚的に理解しやすかった。
イスラム教は輪をかけて新鮮だった。完全に異文化だ。身近にイスラム教徒がいなかったし、遠い国の宗教という印象だったが、やはり哲学として興味深い。
そして勉強すればするほど思う。
「アプローチが違うだけで、求めているものは一緒なんじゃないか」

雑な考え方かも知れないが、結局、人智をこえた大いなる存在というものを人間は感じていて、それを探究したい、もしくはその大いなる存在にすがり祈ることによって、現世での平安や死後の魂の救いを得たい、どの宗教もそこに尽きるのではなかろうかと高校生なりに感じた。
もちろん、来世があるかとか、一神教多神教かとか、宗教としての大きな違いはある。
でも信心の根本は同じな気がした。
人智をこえた大いなる存在の捉え方は、ちょうど手塚治虫さんの『火の鳥』の中で繰り返し描写されているイメージにも近い。大人になって初めて読んだとき、「これだ」と思った。

いまでもその考えは変わっていない。
宗教に、政治が結びつくからややこしい。政治や権力や民族の闘いに、大義名分として宗教がかかげられるからややこしい。
一部の過激な人々を除けば、真理を求め、魂の救済を求める素朴な一般市民の見ている先はきっと同じだ。方法論が違うだけだ。



平和ボケした日本人ならではの発想かもしれない。
聖☆おにいさんに、イスラム教の神アラーか、(アラーは描いてはいけないらしいので)預言者ムハンマドかが登場して、イエスとブッダと三人で仲良く立川でルームシェアしてほしい。
銭湯に行ったりTSUTAYAに行ったり、お互いの天使やら弟子やらを巻き込んでドタバタ劇を繰り広げてほしい。教義ネタをギャグにもりこんで大いに笑わせてほしい。
そしてそれが世界中で翻訳されるくらい、互いの
宗教や思想に寛容な世界であってほしい。
漫画の例はちょっと突拍子もないし、何千年の歴史がある宗教問題がそうあっさり解決するとは思わない。
でも、他の宗教を受容することは、自らの信仰を全うすることと何ら矛盾しない。自分が一神教を信じていて、隣の人が違う神を信じていても、自分にとっては自分の神が唯一神、隣人にとっては隣人の神が神。それで良いんじゃないのか。方法論が違うだけ。
この世に(あの世に?)もし神がいるとしたら、人類に争いを望んではいないだろう。不穏な空気に眉をひそめているはずだ。宗教は争いを希求するものではない。平和を希求するものだ。


クリスマスくらいは真剣に、宗教観と平和について考えてみました。
本当は映像の世紀半沢直樹リーガル・ハイも絡めたかったけど、とてつもなく長くなりそうだったのでこの辺で!

メリークリスマス!


「なぜ、ライティングを始めたんですか?」という問いへの答え

よく聞かれる。
「なんでライターに?」と。
そりゃ聞きたくもなるだろう。30代、出版にもWebにも関わったことはなく、全く違う職種からブランクを経ていきなりフリーの物書き。
わけがわからない。

質問される度、私は二つある動機のうち、現実的なほうの回答をかえす。
「文章を書くことは好きですし、結婚したこともあって、これから場所を問わず長く続けられる仕事がしたい。体力的な無理がきかないこともあって、フリーランスを選びました。」
これも本音だ。
30代になって、「自分は30代何がしたいのか」が全く描けてないことに気がついた。20代は盛りだくさんだった。病気をこじらせてほとんど谷、崖、ばかりだったと記憶しているけれど、そのなかでも自分の足で立つんだと必死にもがいて、その結果得たものもあったし、奇特な人とめぐりあえて結婚もした。
漫然と生きた感はない。
おそらく私は、40歳になったとき、30代を振り返る。そのとき「夫のことは支えたけど、自分名義では特になにもしなかったなぁ……」ではあまりにむなしい。主婦も立派な仕事だが、私はそれじゃ納得しないだろうと思った。じゃあ何をやろうかと模索していたときにアンテナにひっかかったのがライティングだった。
本格的にやるなら、どこかの編プロに弟子入りするのが一番に違いない。でも、体調面でフルタイムで勤めるのは難しい。コンスタントな出勤も難しい。遠回りだと分かっていてもフリーを選んだ。
そんな次第。

でも動機はそれだけじゃない。
むしろ、書いていくうちにもうひとつの方の理由が大きくなってきている。
それは「誰かの生きづらさを和らげたい」

なにをえらっそうに、と思われるのを覚悟でここに書いている。
8か月前まで三点リーダーの使い方も知らなかった十把一絡げ素人ライターだ。日本語の表記のルールも全部書籍やネットで独学。現在進行中。記者ハンドブックは必須。身の程はわきまえているつもり。

それでも敢えて書く。
「誰かの生きづらさを和らげたい」
生きづらさを自分がさんざん感じてきたから。

アプローチはいろいろあると思う。

実用的なライフハック、仕事術などのhow to記事。これらは分かりやすく役に立つ。また政治や経済、社会について分かりやすい情報を伝えることは、生きやすさにつながる。
そこまで直接的でなくとも、たとえばめちゃくちゃ笑える記事を書いて日常の悩みから束の間離れる時間をつくることだってあてはまるし、ほっこりしたエッセイや、しっとりしたコラムで心を豊かにできるひとときを提供するのもそのひとつだ。
むしろ、実体験をもとに見解を述べたコラムやエッセイなどのほうが、筆者の切り口でものごとの新しい解釈を提示できるし、読者が「自分だったらどう思うかな」と考える余白があって、気づきを促す力は大きいと思う。自らを投影するひともいるかもしれない。

そう考えるとどんな記事でも私の目標は達成できるしゆくゆくはそんなマルチな書き手になりたいが、いまは特に2つの点に思いが集中している。

 

1つは、レール通り、型通りの人生(女性なら恋愛・結婚・出産)を歩まなきゃと生きづらく感じているひとに、「そうじゃなくてもいい。強迫観念から解放されよう。」というメッセージを発したい。ありふれた言葉を使えば、多様性という概念をもっともっと世の中に浸透させたい。(先日のアドベントカレンダーの記事でも書きました。)

yuriyoshihara.blog.jp


自分の人生を主体的に自由に生きていいんだ、と気づいてほしい。世の中はメディアが切り取るよりよほど混沌としていて、王道を行く人は実際にはごく一握りだ。性的マイノリティや、いわゆるこれまでの「ふつう」とはずれていて、自分は王道を歩めないと悩む人に、肩の力が抜けて心にすっと風が通るような感覚を得てほしい。本や哲学や様々な知見を紹介することで、新しい視点や気付きのきっかけを得てもらえたら嬉しい。

 

2つ目は、心身の不調に悩むひとに向けて。
このブログには、自分の内面や、病気で生きづらくて苦しかった体験もかなり赤裸々に書いている。

yuriyoshihara.blog.jp


思い出すのは、正直辛い。自慢できることでもない。
それでも書くのは、もしいま当時の私と同じような苦しみを抱えているひとがそれを読んでくれたとき、
「自分だけじゃないんだ」
「どん底から這い上がって行けたひと、いるんだ」
と少しでも救いを得てほしいから。
医者ではないから上から目線のアドバイスはできないし解決もできない。でも、同じ目線で苦しんだからこそ理解できる心情、苦しさ、現実的に解決しなければいけないことへの対処法など、共有できることがきっとあるはず。苦しむ当人や、周りの人たちのヒントに少しでもなればいい。読んでくれたひとの「生きづらさ」が少しでも和らいでくれたら、こんなうれしいことはない。


このふたつに限らず、ほんの些細なことから大きなことまで、生きづらさは世の中に溢れている。仕事、家庭、人間関係、病気、お金……。
それに毎日ぶつかって、それでもどっこい、幸せや楽しさをみつけてなんとか生きていこうかねーと前を向いてる人がほとんどだろう。
あらゆる(まっとうな)ビジネスが最終的には「生きづらさの解消」につながると思うが、私は現時点ではライティングという手段で、微力でもその一端を担いたいと思っている。

2015年もあと10日、残りあとどのくらい更新できるか分からないので、現時点での思いをここに書きとどめておく。

 

追記)昨日の情熱大陸で、羽田圭介氏の「小説は誰かを救うことだってできる。」という言葉が紹介されていた。これまで、私が彼に惹かれるのは、小説そのものや、独特のキャラクター、ストイックさとユーモアのバランスだろうかと漠然と考えていたが、根底にある彼の思想に惹きつけられていたんだなとようやく分かった。

産まないかもしれない

結婚5年目、31歳。事情があってうちには子供がいない。夫婦ともそれを不幸なこととはとらえてなくて、「一生二人でも十分楽しい」と納得している。というか、付き合って結婚を決めるまでの二週間で、そこの価値観は擦り合わせている。どちらの実家の両親も、事情を解してか特にせっついてこない。

ただ、外からの善意の刺激は避けられない。病院、大学のOBOG会、買い物先、とにかくありとあるゆる場所で投げかけられる「お子さんは?」のせりふ。特に上の世代の方が多い。そういわれるたび、一方では「ほっとけよ」と内心毒づきながら、他方でなにか自分がものすごく悪いことでもしているのかという思いにかられる。割りきっているはずの心が揺れる。
いちいち私に言わないだけで、夫もいろんなところで言われてるんだろう。

相手が「傷つけてやろう」と悪意でいってるなら楽だ。でも善意だ。もしくは単なる世間話。当たり前のように、もしくはよかれと思ってにこやかに言われると、反論したり相手を憎んでやり過ごしたりもできず、もやもやするはめになる。
これまでは「まぁ、授かり物ですからそのうち……」と言っていたが、最近は二度と言われないように「うーん、うちはずっと二人かもしれないです」と言うようにしている。

     ****

先日、中学からの親友の結婚式に出席した。
素晴らしい時間だった。
この日のために大幅なダイエットに成功した友人は幸せオーラをふりまき、これまでで一番綺麗だった。私はバージンロードを歩く友人の姿にあっさり涙腺が崩壊し、そのあとは何回うるっとしたか覚えてない。昔から知ってるお母様は相変わらず穏やかで、ずっと涙ぐみながら娘を見守り、お父様と一緒に私たち友人の席にいらして「いつまでも娘をよろしくお願いします」とご挨拶してくださった。

披露宴は職場の方々が多かったので、新婦高校友人は私を含めて3人。小児循環器科の医師として働く独身の友人、第2子妊娠中の専業主婦の友人、私。
それぞれ日頃の生活は全然違えど、長年の友人だ、話に花が咲く。特に医師の友人の生活はすさまじく、強い使命感をもって仕事にあたる凛々しさが随所に感じられた。

いい時間だった。披露宴自体も素晴らしく、お料理、会場装花、盛り上がり具合、余興やスピーチのクオリティ、どれをとっても存分に上質な祝宴だったと思う。

……思いもよらない心の揺れが生じたのは終盤だった。
花束贈呈がおわり、両家を代表して新郎のお父様がスピーチなさった。
「……今日結婚したこの新しい夫婦に、多くのことは望みません。ただただふつうに家庭を築き、ふつうに子供を育ててほしい。自分の人生を振り返って、それがどんなに難しいことかがわかります。……」

“ふつうに子供を育ててほしい”

このくだりを聞いて、なんともいえない感情が私のなかを駆け巡った。
とっさに命を宿している隣の友人のお腹を見、毎日多くの子供の命を救う友人の顔を見た。

私に向けられた言葉ではないと百も承知だ。でも幸せな時間に心の鎧をすべてはずしてしまっていた私には、思いの外ずっしりきた。
私の子宮は、一生胎児の家となることはないのか、私は一生我が子を抱くことはないのか、そして夫と私のDNAを継ぐ我が子を夫に抱かせてあげられないのか。両親に、孫をみせられないのか。
“ふつうに”子供を産み育てる経験をしないまま歳をとったら、後悔するのだろうか。

新郎父を非難したいわけではない。「大層なことを成し遂げてほしいのではなく、身近な当たり前の幸せを大切にしてほしい」という趣旨のあたたかいスピーチだった。自慢の息子が結婚したら、次は孫をと願うのは自然な感情だと思う。
腹が立ったわけでもない。
単純に、私にはいろんな意味で響いたというだけ。

混乱した私の心のなかは、退場していく主役二人の笑顔でいくらか落ち着きを取り戻した。
1列席者の機微なんてどうでもいいのだ。
今日はこの二人の日だ。
ただただ、そういう「ふつう」を望むご家庭と縁を結んだ彼女が、順調に子宝に恵まれますようにとだけ心から願って、複雑な感情は忘れてしまおうと思う。

ご結婚、おめでとう。
19年来の友より。


追伸) 結婚してからが本番。